勇武舘白虎會紹介

勇武舘白虎會

勇武舘白虎會は、大分市東部を中心に活動する空手団体です。

防具付全日本空手道連盟に所属し、他団体の大会にも参加しています。

空手の型と組手の両方を練習しており、組手の練習中は安全性と実戦性を重視して防具を着用しています。

無料の体験入門が可能です。見学も随時受け付けておりますので、お気軽にお越しください。 

練習日時・場所(祝祭日はお休みです)

大在支部 

日時

毎週水曜日 18時~20時

毎週土曜日 17時~19時

場所

大在小学校体育館(大分市横田1丁目15番58号)

高田支部 

日時 

毎週月曜日 18時~20時

毎週木曜日 18時~20時

場所 

高田小学校体育館(大分市大字下徳丸38番地の2)

空手の歴史

1.ルーツ・琉球王国

空手のルーツは沖縄県にあります。

かつて沖縄は琉球王国という独立国でした。日本、中国などと貿易を行い、文化の交流もありました。

しかし1609年、琉球王国は薩摩藩による侵攻を受けて降伏、薩摩藩の間接支配を受けることとなります。これは明治政府が1871年に行った廃藩置県まで続きました。(沖縄県となったのは1879年)

琉球王国には「手」と呼ばれる独自の武術がありました。「御殿手」(「御殿手」は琉球王家の秘伝だったと言われています)、「唐手」、「首里手」、「那覇手」、「泊手」などが記録に残っています。柔道のように統一された技術ではなく、琉球各地の武術家がそれぞれ技を磨く「一人一派」に近い武術だったようです。このことが現在の空手界が統一されていない遠因の一つとなりました。

2.「空手」の伝来

明治以降、沖縄の武術家たちが日本本土に渡り、沖縄武術を伝えるようになります。その中の一人に船越義珍がおり、彼が伝えた「空手」は松涛館流と呼ばれています。彼以外の沖縄武術家が伝えた「空手」からも諸流派が誕生しました。

(「空手」の名称の起源については諸説あります)

逆に日本本土から沖縄に渡り、沖縄で学んだ武術を日本本土に持ち帰る者も出てきました。彼らの中には自身の流派を打ち建てる者もおり、これによって更に「空手」の流派が乱立していきます。

3.「組手」の誕生

元々沖縄の「手」は型至上主義で、実戦形式の試合ルールがありませんでした。(「掛け試し」と呼ばれる野試合はあったそうです)日本本土に空手が伝わり、その裾野が広がるにつれ、実際に強さを競う場が求められるようになりました。これが「組手」と呼ばれる直接打撃によって優劣を決める試合形式の誕生に繋がります。

4.全空連、フルコンタクト空手

松涛館流と剛柔流、糸東流、和道流などが全日本空手道連盟(全空連)を設立し、伝統派空手と総称されています。

寸止め空手とも呼ばれるこの空手から、大山倍達が立ち上げたフルコンタクト空手が生まれました。フルコンタクト空手は寸止めルールに疑問を呈し、実際に当てる(=フルにコンタクトする)組手ルールで一躍有名になりました。

防具付空手は、寸止め空手ともフルコンタクト空手とも違う沖縄空手から生まれました。そのためルールも違います。